茶道具と神奈川県小田原市の歴史
小田原市は神奈川県において茶道が最も盛んな土地柄で、それを裏付ける歴史も携えます。かつての小田原は千利休や古田織部の茶道精神が根差し、明治時代以降にも再び近代数寄者が新たな息吹をもたらしました。豊臣秀吉の天下平定を最後まで苦しめた、難攻不落の小田原城。とあることから秀吉の怒りを買い、敵対する北条軍のアジト「小田原城下」行きを命じられたのが、千利休の高弟・山上宗二でした。北条の家臣らは敵軍の人質でありながらも、山上宗二から千利休の教えを学び、次第に小田原城下に浸透していくことに。
さらに時代が江戸幕府に変わると、幼き頃から家康に仕え、古田織部から茶の湯の薫陶を受けた大久保忠隣が、赴任先の小田原城下で「侘び寂び」を説いて回ったといわれています。そこから300年後、動乱の明治維新を経て大正初期の小田原に茶室を構えたのが、三井財閥の益田孝こと鈍翁です。現在の小田原百貨店の裏手に、約2万5000坪の別荘を設けたと伝えられています。諸説あるなか10前後の茶室を備えており、まさにスケールの大きさを伺わせるところです。益田鈍翁といえば「千利休以来の茶人」と称され、茶道具のコレクション収集に熱心だったことで知られています。
また鈍翁が小田原に別荘を構えたことで、同じ近代数寄者と呼ばれる原三渓や松永耳庵、野崎幻庵なども移住してきました。その名残をとどめているのが、鈍翁の邸宅跡地(掃雲台)から近距離にある小田原市板橋地区の松永記念館です。この敷地内には松永耳庵の茶室「老欅荘」と「無住庵」、野崎幻庵の茶室「自恰荘」のほか、益田鈍翁の掃雲台にあった石造物の一部などが置かれています。これら茶室では常時、呈茶が振舞われるほか、四季に合わせた茶会の開催も盛んです。
小田原市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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小田原市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
小田原市での強化買取中の茶道具作家
奥村吉兵衛
奥村吉兵衛(おくむら きちべえ)は、歴代の三千家に掛軸、風炉先屏風、釜の敷物の一種である「紙釜敷」などを納めてきた家系で千家十職の表具師の名門です。
奥村家は、加賀藩前田家に仕えたのち、京都で表具屋として活動し、表千家に引き立てられました。現在は十二代目が当主で、京都市中京区に仕事場を構えています。表具師は、絵画や書などを布や紙を使って保存するために掛け軸や巻物に仕立てることや、屏風や襖などの仕立てから修理を行う職人で、表装技能士の国家資格も存在します。職業訓練校などで育成され、大戦後からその役割が重要視されています。
松平不昧
松平不昧(まつだいら ふまい)は、松江藩の七代目藩主であり、江戸時代を代表する茶人でもありました。不昧は藩の財政再建に尽力し、「松江藩中興の祖」と称されました。同時に茶の湯や禅学にも熱心に取り組み、伊佐幸琢に師事し石州流を学びました。藩政の成功後は茶道具の収集に情熱を注ぎ、収集品は「雲州名物」と呼ばれ900点以上のコレクションを持ちました。
また、彼は「不昧流」という武家茶道の流派を確立し、気取らずに茶を楽しむスタイルが特徴でした。また、彼の思想が詰まった茶室「菅田菴」は重要文化財となり、松江市の人気スポットとなっています。