茶道具と愛知県岡崎市の歴史
岡崎市の中心街の大きな特徴は、一般的な地方自治体の町並みとは一線を画す点にあります。主要駅から離れた場所に市街地が形成されており、距離にして約500mです。名鉄名古屋本線・東岡崎駅の北口からのびる県道沿いを進み、全幅約20mの大きな乙川(菅生川)を越えると、交通量の激しい東海道(国道1号線)を隔てた先に、岡崎市役所などを抱える中心街が広がりをみせます。また乙川を背に東海道を左折(西側方面)し、800mほど直進した場所にあるのが、徳川家康の生誕地として名高い岡崎城(岡崎公園)です。小高い場所にそびえ立つ岡崎城址からは、康生町や伝馬町に見られる、江戸時代に整備された町割りが名残とどめる中心市街地を一望できます。
また岡崎城址の脇を流れる小さな伊賀川が、この町割りの城下町を“堀”として囲んでいるのも、時代の象徴と言えるでしょう。岡崎城址から伊賀川に沿って1.5㎞ほど北上した地点には、徳川家の武神をまつる伊賀八幡宮が鎮座しています。ちなみに伊賀八幡宮の向かいにあるのが、名茶室を有する明願寺です。小堀遠州の次世代の筆頭格に挙げられる茶人、山田宗徧が建てた唯一現存する茶室「淇菉庵」で知られています。淇菉庵の隣には、宗徧流茶道を受け継いだ不蔵庵龍渓による茶室「弟也斎」も現存し、明願寺は岡崎市の茶道文化を語る上で欠かせない古刹です。
実は岡崎公園内にも、2つの名茶室が存在します。城南亭と葵松庵で文化の日に行われる「市民茶会」は、70回以上の開催歴を誇る岡崎市の恒例イベントの1つです。そんな岡崎市の茶道具事情に関しては、前述した“町割り”に専門店が集まる傾向にあります。八幡町にある紅鹿園をはじめ、伝馬通りで昭和初期から営む茶道具こうむら、創業150年の老舗・竹田屋漆器店(連尺通)などが人気店です。
岡崎市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
岡崎市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
岡崎市での強化買取中の茶道具作家
吉田織部
吉田織部(ふるた おりべ)は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将であり、茶人や芸術家としても知られる人物です。
武将茶人である吉田織部は、豊臣秀吉や徳川家康、徳川秀忠の茶の湯の指南役としても活躍しました。織部流の祖として茶道に大きな影響を与え、南山城・東大和1万石の大名でもありました。茶道具や建築、作庭など幅広い活動を通じて織部好みの流行を生み出しました。
現代でも織部焼で広く知られ、漫画ヘウゲモノで吉田織部の名前を知ったという人も少なくないです。また、吉田織部は千利休の弟子であり、利休の「人と違う事をしろ」という教えを守り利休とは異なる個性的な美を追求しました。利休亡き後は「天下の茶人」となり、織部流の祖として茶道界で称えられています。
金森重近(宗和)
金森重近(かなもり しげちか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した茶人で、「宗和流茶道」の開祖として知られます。
重近(宗和)は父から茶道を学びます。宗和流は「姫宗和」と呼ばれ、京都の公家たちの間で人気を博しました。重近は千利休の教えを尊重し、独自の流派に取り入れたとされています。
また、重近は京焼の名工「野々村仁清」の才能を見出したことでも知られていて、加賀藩の藩主前田利常からも高く評価されていました。宗和流茶道は金沢や故郷の高山を中心に伝えられ、1964年には高山市で無形文化財に登録されました。現在でも国際イベントや歴史関連の場で宗和流茶道が紹介され、ますます人気を集めています。