茶道具と静岡県静岡市清水区の歴史
清水区といえば、やはり“茶どころ静岡”を代表する生産地の1つです。近年は静岡市3区を中心に、2001年から3年おきに開催されている「世界お茶まつり」が認知度を高めつつあります。2022年の開催では、清水区の観光名所「御幸亭(由比本陣公園)」が会場の1つを担い話題になったことは記憶に新しいところです。由比本陣公園は、蒲原駅と由比駅の中間に位置しています。かつてこの付近一帯は、東海道五十三次の16番目となる由比宿でにぎわい、本陣跡地内に設けられているのが、明治天皇ゆかりの御幸亭です。
明治天皇が愛用した御幸亭(3度の小休)は、希代の茶人「小堀遠州」の手がけた枯山水庭園や茶室「結仁斎」などを備え、1994年に由比本陣記念館に復元された経緯を有します。御幸亭のほか、由比宿の歴史を今日に伝えている「静岡市東海道広重美術館」も、由比本陣公園における見どころの1つです。沿岸部の由比地区とは対照的に、山間部にも茶道体験などを提供する穴場スポットがあります。
新東名高速道・新清水ICから5㎞ほど西に向かった、県道195号線に面する「清照由苑」です。このエリアは清水区の茶葉栽培における主要産地で、清照由苑では茶畑での茶摘みや茶室で行う茶道体験など、和と里山気分を両取りできます。なお清照由苑から少し南下した、両河内地区が茶葉栽培の本場です。透き通ったなかにも金色を浮かべる「清水茶」のブランド化に逸早く成功し、長きにわたり静岡県の茶生産を支えています。両河内以外では小島や庵原地区、高台の絶景で知られる日本平も、清水区の茶生産地です。茶道具に関しては清水駅前銀座商店街に構える「中澤園茶舗」が、抹茶茶道や煎茶道に対応した多種多様な茶器類を備えます。
静岡市清水区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
静岡市清水区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
静岡市清水区での強化買取中の茶道具作家
益田鈍翁
益田鈍翁(ますだ どんのう)は、三井財閥の最高経営者として知られ、実業家として成功した後に茶人としても名を馳せました。彼は「千利休以来の大茶人」と称されるほどの評価を受けています。
鈍翁は小田原に別邸「掃雲台」を建て、数寄者との茶会を催し交流を深めました。彼の影響で小田原や箱根が近代茶人の拠点となりました。また、原三渓や松永耳庵と共に近代三大茶人としても知られています。彼の名前の由来は、1908年に手に入れた楽焼茶碗「鈍太郎」だと言われています。鈍翁は美術品の収集家でもあり、海外流出を防ぐために日本の美術品を収集していたとも言われています。彼は91歳で亡くなり、墓所は護国寺にあります。
飛来一閑
飛来家は一閑張細工師の家系であり、千家十職の一つである飛来一閑(ひき いっかん)の代々の当主が襲名しています。彼らは一閑張の技法を使い、茶道具や漆工芸品を制作してきました。飛来家は明から日本に渡り、千宗旦から注文を受けるようになり、表千家の御用細工師となりました。一閑張細工は、紙を重ね貼りして漆を塗る技法で、茶道具の棗や香合などを作るために用いられます。飛来家は京都に拠点を置き、現在は16代目が当代を務めています。一閑張細工は丈夫で重厚な漆工芸品であり、高級料亭や人形やお面などに使用されています。