茶道具と東京都中央区の歴史
茶道具と深いゆかりを持つ東京都中央区において、それを象徴しているのが明治期に端を発する京橋界隈の通称「骨董通り(東仲通り)」です。明治中期~昭和初期にかけて骨董美術商が京橋や日本橋に集まり、その名残を今日にとどめています。最古参と呼び声高い「繭山龍泉堂」を皮切りに、今井茶道具店や龍善堂、ブリヂストンの創業者である石橋正二郎のコレクションを収蔵する「アーティゾン美術館」などが代表的です。
この東京都中央区の骨董通りの周辺一帯にはギャラリースペースを含めると、総数100店舗以上が軒を連ねています。東洋古美術を専門とする繭山龍泉堂は中国の陶磁器を多く取り扱い、アーティゾン美術館も中国・龍泉窯に見られる青磁のほか、有田焼や萩焼といった茶陶コレクションの充実ぶりが顕著です。
骨董通りを北上し、首都高速1号線の高架下を抜けた三越前駅のエリアには、国宝の茶碗「卯花墻」を擁する三井美術館も。東京メトロ・三越前駅の上に立つ三井美術館は、三井財閥の伝来品を中心に約4000点の美術工芸コレクションを所蔵する中央区屈指の文化スポットです。卯花墻は桃山陶を象徴する国宝の志野茶碗で、同館の各企画展などを通し幅広く紹介されています。
2000年代に三井美術館内に再現した、愛知県犬山市にある国宝の茶室「如庵」も定評があります。如庵は織田信長の実弟「有楽斎」が建てたもので、日本に3つしかない国宝茶室の1つとして知られています。2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」に連動した同名の企画展が三井美術館で開催され、話題をさらったことも記憶に新しいところです。話題を振りまくといえば、浜離宮恩賜庭園で10月に行われる「東京大茶会」も15年の開催歴を有することから、中央区における秋の風物詩として浸透しつつあります。
中央区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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中央区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
中央区での強化買取中の茶道具作家
中村宗哲
中村宗哲(なかむら そうてつ)は千家十職の塗師で、現在は十三代目が当代として活躍しています。
十三代目は、特徴的な柔らかさや繊細さを作風とし、注目を集めています。彼女は陶芸家の父と、歴代の中村宗哲史上で唯一の女流当代だった母を持つ名門一家で育ちます。代々受け継がれてきた中村宗哲の技術は、棗に見られる「塗りあがり」が象徴的であり、10以上の工程を経て完成します。種類の違う漆を塗り重ねることで変形を防ぎ100年後も使用可能な作品を生み出します。三代宗哲は天皇の調度や俳人として与謝蕪村らとの交流を深めるなど、宗哲史上で最も著名な塗師といわれています。
今井宗久
今井宗久(いまい そうきゅう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人・茶人であり、茶湯の天下三宗匠の一人として知られています。宗久は茶の師でもある武野紹鴎宅に身を寄せて茶の湯を学びます。独立後は、戦国大名に鉄砲や茶器を売り、財を成します。
1568年、織田信長が上洛すると、宗久は古田織部の名品である織部焼や「松島の茶壺」「紹鷗茄子」などを信長に献上し、その信頼を得ました。しかし、信長から羽柴秀吉の時代になると茶の湯は千利休が牽引するようになり、静かに主役の座を譲ります。
1593年に73歳で亡くなりましたが、宗久のゆかりの茶室「黄梅庵」は、現在でもその歴史的価値は高く、多くの観光客が訪れています。