茶道具と東京都江戸川区の歴史
葛西臨海公園にある日本で2番目の高さを誇る大観覧車のほか、実は金魚養殖も盛んな東京都江戸川区。最果ての葛西臨海水族園から北端の京成小岩駅までは、直線距離にして約12㎞あり、この区間とほぼ同様に南北を走るのが環七通りです。前述したように江戸川区は、奈良県大和郡山市と愛知県弥富市に並ぶ「金魚三大産地」に数えられています。
行船公園(北葛西3丁目)で毎年7月に開かれる「江戸川区特産金魚まつり」は、50回以上の開催歴を有する夏の風物詩です。ちなみに行船公園は、桜や菖蒲などの見どころに加え自然動物園も抱える、江戸川区有数のスポットの1つ。また池に面する風光明媚な茶室「源心庵」を備えることから、平成庭園夕月の会に見られる、茶道イベントも定期的に開催されています。
こうした茶事の場では、都営新宿線・船堀駅前にある「タワーホール船堀」も有名です。ここは都内3位の高さをマークする通称・船堀タワー(全長115m)がそびえ立つ複合文化的施設で、江戸川区のランドマークとして知られています。タワーホール船堀は毎年1ヶ月にわたり開催される秋の江戸川区文化祭で、メイン会場の1つを担います。また江戸千家による茶道教室も通年で開催していることから、いわば船堀タワーは、この流祖である“川上不白の茶の湯文化を育む江戸川区の拠点”と呼んでも大袈裟ではないかもしれません。
そんな船堀タワーの前を走る船堀街道沿いを2.5㎞ほど北上すると、江戸川区役所をはじめとした行政機関や商業施設などが集まる中心街に向かいます。この中心的エリアにあるのが、江戸川区文化祭でもう1つの会場を担う「総合文化センター」です。こちらの会場では、日本舞踊や俳句大会などが繰り広げられます。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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江戸川区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
江戸川区での強化買取中の茶道具作家
奥村吉兵衛
奥村吉兵衛(おくむら きちべえ)は、歴代の三千家に掛軸、風炉先屏風、釜の敷物の一種である「紙釜敷」などを納めてきた家系で千家十職の表具師の名門です。
奥村家は、加賀藩前田家に仕えたのち、京都で表具屋として活動し、表千家に引き立てられました。現在は十二代目が当主で、京都市中京区に仕事場を構えています。表具師は、絵画や書などを布や紙を使って保存するために掛け軸や巻物に仕立てることや、屏風や襖などの仕立てから修理を行う職人で、表装技能士の国家資格も存在します。職業訓練校などで育成され、大戦後からその役割が重要視されています。
原三渓
原三渓(はら さんけい)は、日本の実業家・美術品収集家で、近代三大茶人(鈍翁・三渓・耳庵)の一人です。
25歳頃から美術品の収集を始め、明治末期にはコレクションの一部を手放して国宝の仏画「孔雀明王像」を購入しています。また、1902年頃、三渓園と呼ばれる庭園を横浜に作り、10棟もの重要文化財を移築しました。1917年には茶室・蓮華院を建設し、多くの茶会を開催しました。三渓は芸術家を支援するだけでなく、一般市民にも日本文化を広めたいという思いを持っていた人物でした。