茶道具と東京都港区の歴史
六本木ヒルズから東京タワー、さらにはお台場までと、都内観光における名だたるスポットが目白押しの東京都港区。ほぼ中心に位置するのが、高級繁華街の六本木駅や麻布十番駅を擁する麻布地区です。港区の北東部は芝地区と呼ばれ、新橋や虎ノ門に見られる日本一のビジネス街が形成されています。
新橋駅と麻布地区の中間あたりに港区役所があり、この斜向かいには境内から東京タワーを間近に望める増上寺も。徳川家康が厚く信仰した弁財天を祀る増上寺は、開運出世のパワースポットとして人気を博します。
これら芝公園界隈から少し南下した田町駅の先にあるのが、2020年に誕生した高輪ゲートウェイ駅です。山手線における、49年ぶりの新駅として話題になりました。また田町から東京湾に面する芝浦埠頭を経由すると、レインボーブリッジをわたって東京お台場へと向かいます。なお高輪ゲートウェイ駅の隣、品川駅も実は港区で最南端です。
この南端の界隈には、もつ1つ港区を象徴する有名スポットも。高級住宅地の白金と白金台です。バブル期に白金台で暮らすセレブな女性が話題になり、シロガネーゼという代名詞まで生まれました。これとは対照的に近年は主に六本木や麻布十番をテリトリーとする「港区女子」が、SNSのトレンドに入るなどして話題をさらっています。
そして最後は青山エリアです。ここは西端の表参道駅がメインで、付近にある南青山5丁目交差点から800mほど続く「骨董通り」が時代の名残をとどめます。昨今はブランドショップやアンティーク店が目立つなか、かつてはその名の通り骨董品を扱う店舗が軒を連ねていました。それでも店先に立つ信楽焼の大狸で知られる、老舗の茶道具専門店をはじめとする約30軒が、新旧融合の骨董通りを屋台骨として支えています。
港区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。主な買取対象の茶道具としては、茶碗、棗、香合、茶掛などの茶道具、待光庵の号を授けたことで関係のある裏千家や表千家、武者小路千家の三千家で使われる茶道具、中国や朝鮮半島など海外で生産された茶道具など幅広くあります。
事前の絵画簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の絵画作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
港区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
港区での強化買取中の茶道具作家
奥村吉兵衛
奥村吉兵衛(おくむら きちべえ)は、歴代の三千家に掛軸、風炉先屏風、釜の敷物の一種である「紙釜敷」などを納めてきた家系で千家十職の表具師の名門です。
奥村家は、加賀藩前田家に仕えたのち、京都で表具屋として活動し、表千家に引き立てられました。現在は十二代目が当主で、京都市中京区に仕事場を構えています。表具師は、絵画や書などを布や紙を使って保存するために掛け軸や巻物に仕立てることや、屏風や襖などの仕立てから修理を行う職人で、表装技能士の国家資格も存在します。職業訓練校などで育成され、大戦後からその役割が重要視されています。
吉田織部
吉田織部(ふるた おりべ)は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将であり、茶人や芸術家としても知られる人物です。
武将茶人である吉田織部は、豊臣秀吉や徳川家康、徳川秀忠の茶の湯の指南役としても活躍しました。織部流の祖として茶道に大きな影響を与え、南山城・東大和1万石の大名でもありました。茶道具や建築、作庭など幅広い活動を通じて織部好みの流行を生み出しました。
現代でも織部焼で広く知られ、漫画ヘウゲモノで吉田織部の名前を知ったという人も少なくないです。また、吉田織部は千利休の弟子であり、利休の「人と違う事をしろ」という教えを守り利休とは異なる個性的な美を追求しました。利休亡き後は「天下の茶人」となり、織部流の祖として茶道界で称えられています。