茶道具と東京都中野区の歴史
中野区は東京都庁(新宿区西新宿)から1㎞圏内に位置し、JR中央線と西武新宿線が東西を走ります。この2路線と並走するように、北側から順に新青梅街道、早稲田通り、青梅街道が東西を貫くのも中野区の特徴の1つです。なお中野区のやや中央部を縦断する環七通りは、杉並区高円寺北と隣接する大和陸橋で早稲田通りと交わります。茶の湯や茶道具に関しては、新青梅街道に面する通称「れきみん」が、展示や収蔵品で知られています。
中野区江古田4丁目に位置する山崎記念中野区立歴史民俗資料館は、旧江古田村の名主「山崎家」の跡地に建てられた文化的施設。名誉都民であり、戦前のテニスブームにおける代表的な選手として名を残した8代当主・山﨑喜作が中野区に寄贈し、平成元年に同館がオープンしています。山﨑家は農業や質屋で財を築いたのち、都内で醤油醸造を展開させた地元きっての名主です。
れきみん資料館とは別に、山崎家の庭園や茶室を定期的に一般公開し、茶道具をはじめとする歴代のコレクションを紹介しています。山崎家以外では、中野坂上駅が最寄りで、西新宿と隣接する本町1丁目の青松園も高名な茶道具店です。茶舗から歩みだした青松園は、創業約90年の歴史を誇る老舗。新宿区との境界線である神田川の近くに本社を構え、新宿駅西口と隣接する小田急ハルク内にも店舗を設けています。
地下鉄線・中野坂上駅の上を走る山手通りを北上した東中野駅の前にも、有名な茶道具専門店があります。人間国宝の音丸耕堂や鈴木蔵から、北大路魯山人、河井寛次郎まで、名だたる陶芸家の力作を揃える創業50年の黒川松永堂です。そのほか早稲田通り沿いの荒木関(中野区大和町)も三島茶碗、伊賀焼や高取焼といった名品を取り扱う茶道具商として定評があります。
中野区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
中野区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
中野区での強化買取中の茶道具作家
吉田織部
吉田織部(ふるた おりべ)は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将であり、茶人や芸術家としても知られる人物です。
武将茶人である吉田織部は、豊臣秀吉や徳川家康、徳川秀忠の茶の湯の指南役としても活躍しました。織部流の祖として茶道に大きな影響を与え、南山城・東大和1万石の大名でもありました。茶道具や建築、作庭など幅広い活動を通じて織部好みの流行を生み出しました。
現代でも織部焼で広く知られ、漫画ヘウゲモノで吉田織部の名前を知ったという人も少なくないです。また、吉田織部は千利休の弟子であり、利休の「人と違う事をしろ」という教えを守り利休とは異なる個性的な美を追求しました。利休亡き後は「天下の茶人」となり、織部流の祖として茶道界で称えられています。
土田友湖
土田友湖(つちだ ゆうこ)は千家十職の袋師で、袋師の当主が代々襲名している名称です。彼らは茶道具の仕覆や帛紗などの袋物を制作し、歴代の三千家に納めてきました。
土田家は彦根藩井伊氏に仕え、商家として西陣織の仲買人となりました。表千家の支援を受け、仕覆などを作るようになりました。現在は13代目が当主で、京都市中京区に仕事場を構えています。袋師は茶道具の袋物全般を制作し、茶道で使用される布製の道具を扱います。