茶道具と東京都渋谷区の歴史
かつて“若者文化の発信地”だった渋谷区は、ヒカリエに見られる大がかりな再開発工事が続き、近年はビジネスパーソンが集まるエリアとして様変わりしつつあります。いずれにしてもトレンドの最先端には変わりない渋谷区で、古風な茶道との結びつきはイメージしにくいかもしれませんが、街並みにそぐう“ならでは”の茶道具店も。渋谷駅から直結する超高層型の複合商業施設「渋谷スクランブルスクエア」に店舗を構える、中川政七商店が代表的です。全国展開する中川政七商店は、江戸時代中期に奈良で高級生地商として創業したのち、昭和後期から行う茶道具類の販売にも定評があります。
この再開発界隈でいえば、西武渋谷店が主催する「現代茶ノ湯スタイル展」も2011年から続く定番イベント。現代アートと茶道の融合をテーマに、苫米地正樹や石井隆寛といった新進気鋭のアーティスト作品が集結する“渋谷区らしい”展示会です。一方、渋谷駅から道玄坂を進んだ先には、かつて茶葉の生産で栄えた名残をとどめる「鍋島松濤公園」があります。ここは明治維新で名乗りを上げた旧佐賀藩主・鍋島家が、藩士の食い扶持を養うために、茶園を開いた経緯を有します。鍋島家は地元・佐賀で代々、藪内流の茶道に精通し、高級茶道具を数多く所持した大名として有名です。
そんな渋谷区では、四季折々の自然を回遊式庭園から満喫できる旧朝倉家住宅が、茶会の人気スポットとして知られています。代官山駅の付近に位置する旧朝倉家住宅(渋谷区猿楽町)は、春や秋など年3回の大きな茶事イベントを設ける重要文化財です。猿楽町と正反対に位置する広尾地区の「祥雲寺」は茶禅融合の古刹として、茶道教室や座禅会が若者を中心に耳目を集めています。
渋谷区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
渋谷区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
渋谷区での強化買取中の茶道具作家
樂吉左衛門
樂吉左衛門(らく きちざえもん)は、安土桃山時代から450年以上続いている樂焼茶碗の当代が襲名する名称です。樂家は茶碗づくりの名門で、千家十職の一つです。樂茶碗は代々、一子相伝のスタイルを継承し、「手づくね」といわれる制法を用います。
十五代目(本名:光博)は2019年に代替りし、「直入」と名乗りました。直入の作品は「樂美術館」で展示され、その他にも「金剛能楽堂」「頴川美術館」「佐川美術館」でも樂焼に触れることができます。特に「佐川美術館」は吉左衛門を含む3人の名前が付いた美術館で、日本画家や彫刻家の作品が展示されています。直入は陶芸家だけでなく、建築家としても才能を発揮し、数々の建築賞を受賞しました。2018年、彼と漫画家の松井優征の対談も話題となりました。
織田長益(有楽斎)
織田長益(おだ ながます)は織田信長の実弟であり、武将として活躍しながらも茶道に傾倒し、織田有楽斎として知られるようになりました。本能寺の変後、明智軍との戦いを経て岐阜に逃れ、その後は織田信雄に仕え、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたのち、剃髪して有楽と号しています。
茶道では千利休に学び、武家茶道「有楽流」を確立します。京都の建仁寺に建てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は犬山城の庭園・有楽苑に移設されています。晩年は京都で茶道と趣味に専念しました。また、織田有楽斎が自作した竹茶杓は、根津美術館に今も貯蔵されています。