茶道具と東京都品川区の歴史
実は茶道の歴史を色濃く残す品川区では、2023年に御殿山庭園内にたたずむ茶室・有時庵で開かれた「春の茶会」が記憶に新しいところです。世界的建築家「磯崎新」の設計による有時庵は、通常非公開のため、同茶会は話題をさらいました。そんな御殿山といえば、徳川家光が愛用した「品川御殿」に由来します。御殿山庭園が位置する北品川エリアは、かつて数多くの大名が下屋敷を構えた一等地。
徳川家光は、かつての品川御殿で古田織部や小堀遠州といった茶人を招き、20回以上の茶会を開催した記録が残されています。古田織部は茶聖こと千利休の高弟で、近年は歴史漫画「へうげもの」で再注目されている大茶人です。一方の小堀遠州は古田織部から茶の湯を学び、独自の「綺麗寂び」を確立させ、晩年は徳川家光の茶道指南役も務めました。
御殿山が茶会で沸いた徳川家光の時代から約150年後、付近の大崎に一大茶苑を築いたのが、江戸中期を代表する大名茶人「松平不昧」です。松平不昧は持ち前の鑑識眼で茶道具を初めてランク化させ、自身のコレクションである「雲州名物」も高い評価を得ます。現在の御殿山小学校の周辺一帯に約2万坪、東京ドーム1個強という巨大な下屋敷を約40億円もかけて完成させた松平不昧。
この“大崎苑”には11の茶室が備わり、茶の湯三昧の生活を送ったと伝えられています。御殿山界隈は、こうした経緯もあってか、都内でも指折りの高級住宅地に数えられるほどです。それとは別に、昨今は目黒区と隣接する西小山駅の付近で営む「easy茶道cafe&教室 つなぐ」が、その名の通り気軽な体験から始められることで人気を博します。公共の場では、品川区の樹に選定されている“楓”をモチーフとした、メイプルセンターでの茶道教室がメジャーです。
品川区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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品川区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
品川区での強化買取中の茶道具作家
角谷一圭
角谷一圭(かくたにいっけい)は、1904年に大阪で生まれた釜師であり、「茶の湯釜」の重要無形文化財保持者です。
角谷一圭は、幼い頃から鋳物師の父の仕事を手伝っていました。茶の湯に興味を持ち、本格的な茶道具の制作を志すようになりました。21歳で初めて工芸展に出品した鉄瓶が受賞し、43歳のときには制作した釜を昭和天皇に献上する栄誉に浴しました。
74歳で人間国宝に認定され、その後も多くの優れた作品を生み出し、1999年に95歳で生涯を閉じました。
代表的な作品には「独楽釜」「末広釜」などがあります。彼の才能と技術は多くの人々に称賛され、日本の釜師の一員として名を刻みました。
原三渓
原三渓(はら さんけい)は、日本の実業家・美術品収集家で、近代三大茶人(鈍翁・三渓・耳庵)の一人です。
25歳頃から美術品の収集を始め、明治末期にはコレクションの一部を手放して国宝の仏画「孔雀明王像」を購入しています。また、1902年頃、三渓園と呼ばれる庭園を横浜に作り、10棟もの重要文化財を移築しました。1917年には茶室・蓮華院を建設し、多くの茶会を開催しました。三渓は芸術家を支援するだけでなく、一般市民にも日本文化を広めたいという思いを持っていた人物でした。