茶道具と東京都豊島区の歴史
豊島区は東京23区のなかで6番目の狭小面積(13㎢)ながらも、約29万人が暮らし、日本一の人口密度を記録しています。なお豊島区の人口密度は、1㎞四方あたり約2万2000人です。人口密度の高い理由に、ワンルームマンションの多さが挙げられる、ともいわれています。そんな豊島区の中心街といえば、言わずと知れた池袋駅の周辺エリアです。新宿や渋谷と並んで数多の乗降客数を誇る池袋駅は、起点の西武池袋線や東武東上線、JR埼京線などを抱えます。また池袋駅を古くから支える、東口の西武池袋本店と西口の東武百貨店は代名詞と言っても過言ではないかもしれません。西武池袋本店は2023年の撤退騒動が、地元の豊島区民を中心に世の関心を高めました。
この通称「西武口」からは、サンシャインシティにかけて大歓楽街が広がりを見せます。長きにわたる池袋のランドマークとして有名なサンシャインシティは、ナンジャタウンや水族園が定番で、近年はポケモンセンターが子どもに大人気のスポットです。文化面に関しては池袋駅の西口前に立つ東京芸術劇場、そこから500mほど南下した場所にある目白庭園が知られています。池袋駅からは離れるものの、南長崎界隈に根差す、トキワ壮の歴史を今日に紡ぐ手塚治虫らのアニメ文化も特徴的。
そうしたなか目白庭園は豊島区茶道華道文化連盟による、春と秋の茶会でにぎわい、その会場を担う数寄屋建築の茶室「赤鳥庵」が見どころの1つです。赤鳥庵では、年間を通して「かるがも茶席」も定期的に開かれています。そのほか前述した西武池袋本店の「茶道具展」も、不定期開催ながら人気を博す名物イベントと言えるでしょう。2023年の同茶道具展では現代京焼の名工「加藤利昇」、萬古焼の名手「佐久間勝山」らの名品が一堂に会しています。
豊島区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
豊島区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
豊島区での強化買取中の茶道具作家
今井宗久
今井宗久(いまい そうきゅう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人・茶人であり、茶湯の天下三宗匠の一人として知られています。宗久は茶の師でもある武野紹鴎宅に身を寄せて茶の湯を学びます。独立後は、戦国大名に鉄砲や茶器を売り、財を成します。
1568年、織田信長が上洛すると、宗久は古田織部の名品である織部焼や「松島の茶壺」「紹鷗茄子」などを信長に献上し、その信頼を得ました。しかし、信長から羽柴秀吉の時代になると茶の湯は千利休が牽引するようになり、静かに主役の座を譲ります。
1593年に73歳で亡くなりましたが、宗久のゆかりの茶室「黄梅庵」は、現在でもその歴史的価値は高く、多くの観光客が訪れています。
黒田正玄
黒田正玄(くろだ しょうげん)は、歴代の三千家に竹を使う茶道具を納めてきた家系で千家十職の竹細工・柄杓師の名門です。
黒田家は、元は武士の家柄であったが、関ヶ原の戦いの後に竹細工職人となり、茶人や江戸幕府とのつながりを築きました。現在は十四代目が当主で、京都市上京区に仕事場を構えています。
竹細工・柄杓師は、竹の選別から磨き上げまでの技術を駆使して、優れた竹細工製品を作り出します。黒田家は千家十職の竹細工・柄杓師として、茶道具の花入や茶杓、釜敷、蓋置、香合、水指、茶筅など幅広い製品を手がけています。