茶道具と愛知県豊橋市の歴史
渥美半島の付け根に位置し、静岡県湖西市と隣接する愛知県豊橋市は、江戸時代を代表する茶人・山田宗徧の茶道文化が根差します。そんな豊橋市は現代において愛知県の東三河エリアに区分されているものの、江戸時代は吉田藩として独立。三河吉田藩主には松平家や水野家などが座ったなか、京都より山田宗徧を招いたのが小笠原忠知です。小笠原家は忠知以降、4代にわたり1600年代後半まで三河吉田藩主の座に就きました。豊橋市電・東田坂上停留場から200mほど北上した臨済寺が、小笠原家の菩提寺として名残をとどめています。
山田宗徧は京都・長徳寺の子として生まれ、弱冠6歳にして天下三大茶人の「小堀遠州」に師事。18歳になった山田宗徧は、千利休を祖父に持つ千宗旦から茶の湯の薫陶を受けました。なお小堀遠州は、千利休の高弟として名高い古田織部に茶の湯を学び大成したことで、三大茶人に数えられています。小堀遠州と千宗旦は同年代で、山田宗徧との差は約50歳。そのため小笠原忠知は当初、まだ無名な山田宗徧ではなく、名声を得ていた千宗旦に茶道指南役を打診します。ところが宗旦は年齢的な理由から依頼を断り、その代わりとして送ったのが愛弟子の山田宗徧でした。
宗旦の先見は見事に的中し、初代藩主・忠知に腕前を認められた山田宗徧は40年にわたって小笠原家の茶頭を務めることに。晩年は江戸に出て千家の茶道を広く普及したことで、山田宗徧は小堀遠州の後釜に座る茶人として名を残しました。前述した臨済寺は宗徧吉田流の拠点として住職が会長を務めるほか、山田宗徧の最高傑作と称される茶道具「黒塚(花入)」も所蔵しています。臨済寺以外では、豊橋市大橋通で営む「佐藤茶店山城園」や「泉園茶舗」が、高貴な茶道具を揃える専門店として有名です。
豊橋市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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豊橋市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
豊橋市での強化買取中の茶道具作家
永樂善五郎
永樂善五郎(えいらく ぜんごろう)は、約500年続く京焼の名家であり、土風炉・焼物師の家元です。始まりは室町時代で、創設者「西村宗禅」が土風炉の依頼を受けたことからでした。現在の当代は十七代で、国内外で個展を開催し、新たなスタイルを追求しています。
永樂家は多くの名工を輩出し、京焼の名声を高めてきました。特に十代了全は「天明の大火」による損失から「永樂」印を用いるようになり、この時期より千家十職として認められたといわれています。
松永耳庵
松永耳庵(まつなが じあん)は三井財閥の実業家であり、「電力王」として知られる人物です。彼は電力業界で活躍し、美術品の収集家としても名を馳せた茶人でもありました。また、近代三大茶人の一人として益田鈍翁や原三溪と並び称されます。
福澤諭吉の門下生になり慶應義塾で学んでる折に福澤桃介と出会いその後事業を共にしました。彼は電力業界の再編や戦後のインフラ構築に貢献しました。
還暦のころになると茶の湯の世界に入り、「耳庵」という号を持ち、茶道と美術品の収集に情熱を注ぎました。松永耳庵のコレクションの中でも「釈迦金棺出現図」は特に有名で、現在は京都にある国立博物館で保管されてます。