茶道具と兵庫県芦屋市の歴史
兵庫県芦屋市は、西国街道の大名行列で発展した歴史を有します。西国街道は、当時からランドマークとして聳え立つ「五重塔」を擁する京都・東寺と、福岡県太宰府市を結ぶ“江戸の五街道”に次ぐ重要ルート。長距離区間であったが故に茶屋を各地に設けており、その1つが芦屋市でした。JR芦屋駅の南口付近に位置し、国道2号線と西国街道の合流地点である「茶屋之町」が名残をとどめています。そんな芦屋市茶屋之町では、遠州流茶道の経験を積んだオーナーが営む「御茶道具 小田商店」も。遠州流・12代家元のコレクションなどを中心に扱う、兵庫県有数の茶道具店として定評があります。
茶屋の興隆で経済的な発展を遂げた芦屋市周辺一帯は、明治時代に台頭した関西の財界人を中心に邸宅が設けられていくことに。隣接する現在の神戸市東灘区(主に御影・住吉エリア)を皮切りにラッシュを迎え、芦屋市山芦屋町に豪邸を構えたのが大阪屈指の実業家「4代目・山口吉郎兵衛」です。父が興した山口財閥を引き継いだ4代目は銀行経営で名を残した一方、茶道具をはじめとする古美術品の収集にも没頭。野々村仁清に見られる京焼、楽家初代・長次郎による赤楽茶碗「勾当」、はたまた中国は景徳鎮の民窯から伝わった「祥瑞」などの名茶道具から、かるたや人形のコレクションまで、その総数は2500点に及ぶほど。
これらを収蔵および展示しているのが、山口吉郎兵衛の邸宅を全面的にリニューアルし1964年のオープンにいたった「滴翠美術館」です。4代目・山口吉郎兵衛は、有田焼の源流とされ制作期間が短く希少な「祥瑞」の研究者としての評価を高めつつあるため、滴翠美術館の茶道具コレクションは注目されています。2022年に滴翠美術館で開かれた秋季展「名碗~語り継がれる茶の湯の茶碗~」が話題をさらったことは、記憶に新しいところです。
芦屋市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
芦屋市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
芦屋市での強化買取中の茶道具作家
長野垤志
長野垤志(ながの てつし)は、愛知県で生まれた鋳金家であり、釜師です。
最初は洋画家を志していましたが、鋳金に転じて山本安曇と香取秀真に師事しました。27歳のとき、帝展で初入選し、1933年に同展で出品した『青銅方盤』が特選となります。長野垤志は、花瓶や鐘などの作品や茶の湯釜の制作で評価を受けました。また、釜に関する研究や書籍の出版も行い、63歳で重要無形文化財「茶の湯釜」保持者(人間国宝)に認定されました。1977年に77歳で亡くなりました。
大樋長左衛門
大樋長左衛門(おおひ ちょうざえもん)は、京都を発祥とする楽焼の茶器を手掛ける大樋焼の屋号で、現在は十一代目が当代を務めています。約350年の歴史があり、現在でも「楽家脇窯」として楽焼を正式に公表される唯一の家元です。
初代の土師長左衛門が開窯し、「飴釉の釉技」を後世に伝えました。四代目は「黒楽茶碗」を確立し、五代目は「大樋焼 中興の祖」と呼ばれ大きな黒茶碗で評価されました。八代目以降は茶道界との関係を深め、九代目は黒幕釉の陶才を発揮しました。十代目は陶芸界に大きく貢献し、文化勲章や文化功労者に輝いています。現在の十一代目は陶芸家でありながら世界的デザイナーでもあり、国内外で活躍しています。