茶道具と東京都調布市の歴史
三多摩地域で総人口数の上位圏内にランクする東京都調布市。同ツートップの八王子と町田からは大きく引き離されるものの、3位の府中と僅差で4位(約24万人)に甘んじています。それでも町田や府中に負けず劣らず、全国区の知名度を持つ人気スポットを抱えるのが調布市です。定番の深大寺をはじめ、ちょっと呼び名が混同する神代植物公園、味の素スタジアムや調布飛行場などが挙げられます。かつて調布市を拠点としていた“石原軍団”も特筆すべき点です。石原軍団こと石原プロモーションは、昭和40年代後半から10年間ほど、調布市の国領駅付近に事務所を構えていました。当時の石原軍団は全盛期を迎えており、テレビドラマ「太陽にほえろ!」と「西部警察」が代表作です。2021年には同ドラマのテーマ曲が国領駅の列車接近メロディーに採用されたほか、調布市役所の隣にある文化会館たづくりでも「ありがとう石原軍団展」が開催され話題をさらいました。
それとは別に深大寺といえば、その言葉の次に続く「蕎麦」です。古くは深大寺界隈で“そば粉”が多く実ったことに由来する、といわれています。ちなみに深大寺には、実は知る人ぞ知る調布市唯一の国宝「釈迦如来像」も安置されているため、まさに今日にいたるパワースポットおよび蕎麦人気の由縁にあたるのかもしれません。神代植物公園は“トトロ顔負け”の「オオオニバス」が、軽く子どもを乗せてしまうサイズで好評を博します。茶道や茶道具に関しては、前述した「調布市文化会館たづくり」が市民との接点を多く与えている場の1つです。ちなみに“調布市たづくり”は、赤楽や高麗三島茶碗、はたまた志野焼の建水など、一般の公共レベルとは一線を画すレンタル用の茶道具を揃えることで知られています。
調布市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
調布市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
調布市での強化買取中の茶道具作家
中村宗哲
中村宗哲(なかむら そうてつ)は千家十職の塗師で、現在は十三代目が当代として活躍しています。
十三代目は、特徴的な柔らかさや繊細さを作風とし、注目を集めています。彼女は陶芸家の父と、歴代の中村宗哲史上で唯一の女流当代だった母を持つ名門一家で育ちます。代々受け継がれてきた中村宗哲の技術は、棗に見られる「塗りあがり」が象徴的であり、10以上の工程を経て完成します。種類の違う漆を塗り重ねることで変形を防ぎ100年後も使用可能な作品を生み出します。三代宗哲は天皇の調度や俳人として与謝蕪村らとの交流を深めるなど、宗哲史上で最も著名な塗師といわれています。
中川浄益
中川浄益(なかがわ じょうえき)は、安土桃山時代から400年以上続いた金物師の家系で、千家十職の一つです。彼らは鉄と鋳物を主軸とし、錺師として知られていました。
初代の與十郎は豊臣秀吉が開催した「北野大茶会」で、千利休から薬鑵の依頼をきっかけに中川浄益を名乗を名乗るようになったといわれています。
歴代の当代のなかで、三代目と七代目は特に著名で、三代目は砂張製法を発明したことで知られています。七代目は砂張槌物の名人と呼ばれた当代であり、中川家の再興に貢献し、「中川家 中興の祖」と称された人物でした。
九代目以降は茶道の衰退により活動が低迷し、現在は十一代目中川浄益を最後に継承が途絶えています。中川浄益の作品は評価が高く、岩戸山の柱金具なども手がけました。代表作として「青金寿老」「布袋像2体」「毛織建水」などがあげられます。