茶道具と福岡県福岡市の歴史
福岡市は福岡県の西部に位置し、県庁所在地であるとともに、福岡県および九州地方で最も人口が多い都市です。市は東区、博多区、中央区、南区、城南区、早良区、西区の7つの区で構成され、北側は玄界灘(日本海)に面しています。
福岡は、歴史の教科書に登場する場所が多くあります。縄文時代から弥生時代にかけての遺跡として有名なのが板付遺跡です。また、金印「漢委奴国王印」は、当時の中国との交流を示す資料として貴重なものです。飛鳥時代の白村江の戦いでは、唐・新羅に敗れると、博多湾岸に防人を配置し、城砦を築きました。また鎌倉時代後半の元寇では、元軍が博多湾に2度襲来しましたが撃退しています。豊臣秀吉の時代には博多が自治都市として確立され、1889(明治22)年に福岡市が誕生しました。九州地方の中心都市として発展を続け、1972(昭和47)年には政令指定都市に移行しました。近年は、九州地方の経済の中心として、また韓国や中国など外国と距離が近い地の利を生かして、中心市街地の再開発や「グローバル創業・雇用創出特区」の国家戦略特区として指定され、さらなる発展が期待されています。
JR博多駅の北側に広がる博多遺跡は、南北1.6km、東西0.8kmにわたり中世の貿易都市だった博多の面影を残しています。これまでの発掘調査では、中国産をはじめ膨大な量の輸入陶磁器が出土しています。その中には、栄西が日本に茶の種を持ち帰って育て、茶の文化を広めた以前の時代に作られた茶碗も発掘されています。博多遺跡のある地区は、かつては中国人居留区で中国の文化が持ち込まれていたと考えられます。さらに福岡県内各地の遺跡からも平安時代末期から鎌倉時代の茶器が多数出土していることから、福岡市周辺では早期から茶を楽しむ文化が広がっていたと思われます。
戦国時代から江戸時代にかけて、福岡にゆかりのある茶人も多く存在しました。戦国時代から江戸時代前期の博多商人で茶人としても知られる神屋宗湛(かみやそうたん)は、島井宗室・大賀宗九とともに「博多三傑」と呼ばれました。織田信長や豊臣秀吉と交流を深め豪商としての地位を認めてもらい、海外貿易で莫大な富を築いたとされます。茶器の収集でも知られ、中でも「博多文琳」という茶入を家宝とし、秀吉が九州平定の際にこの茶器を所望したところ、「日本半国となら交換する」と答え、諦めさせたという逸話が残っています。
江戸時代、福岡藩を治めたのは黒田氏です。黒田孝高(如水)は、秀吉から茶の湯が持つ政治的な役割や効果を教わり、利休の侘び茶を深く学びました。2代藩主忠之は、神屋宗湛から博多文琳を召し上げました。3代藩主光之の時には、重臣立花実山は、千利休などによる茶道の精神や心得を『南方録』にまとめました。これにのっとった茶道の流派「南坊流」が、福岡市を拠点に京都市、豊橋市などに茶道教室があります。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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福岡市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
福岡市での強化買取中の茶道具作家
織田長益(有楽斎)
織田長益(おだ ながます)は織田信長の実弟であり、武将として活躍しながらも茶道に傾倒し、織田有楽斎として知られるようになりました。本能寺の変後、明智軍との戦いを経て岐阜に逃れ、その後は織田信雄に仕え、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたのち、剃髪して有楽と号しています。
茶道では千利休に学び、武家茶道「有楽流」を確立します。京都の建仁寺に建てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は犬山城の庭園・有楽苑に移設されています。晩年は京都で茶道と趣味に専念しました。また、織田有楽斎が自作した竹茶杓は、根津美術館に今も貯蔵されています。
高橋敬典
高橋敬典(たかはしけいてん)は、1920年に山形で生まれた金工家であり、本名は高橋高治(たかじ)と言い、人間国宝に認定された人物としても知られています。
1950年に釜師である長野垤志に師事し、金工の技術を深く学びました。その後、日展で初入選し、昭和天皇にも釜を献上するなどしました。1996年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
高橋敬典は、芸術性を追求しながらも実用性のある釜や鉄瓶を創り上げ、新たな造形にも挑戦しました。2009年には慢性腎不全により88歳で亡くなりました。代表的な作品には、第10回日本伝統工芸展で奨励賞を受賞した「砂鉄松文撫肩釜」、第23回日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞した「甑口釜」などがあります。