茶道具と埼玉県春日部市の歴史
藤の花や野原しんのすけ、はたまた粕壁宿で知られる埼玉県春日部市。東武野田線・藤の牛島駅から徒歩で10分ほど北上した場所に、県内屈指の藤花園が広がりを見せます。例年4月半ばに満開を迎え、多くの人出を集める見ごたえ十分の樹齢1200年という藤の花です。かつて農家の娘が病を患った際、通りがかりの旅僧から「庭に植えてある藤を寺に移せば治る」と言われたそうです。娘は僧侶を信じ実行に移したところ、病は完治したという言い伝えが残されています。寺院は残っていないものの、この牛島地区で根を絶やさず咲き続けているのが牛島の藤です。
なお藤花園の近場には、古利根川に面する“しんちゃん”スポットも。春日部第1児童センター「エンゼル・ドーム」です。この児童センターは、国民的アニメ「クレヨンしんちゃん」の登場キャラクターを屋外展示する、子どもたちに大人気のスポットで、向かいを流れる古利根川も春日部市が誇る桜の名所として長い歴史を刻んでいます。クレヨンしんちゃんはモデルとする春日部市での日常を描いたテレビアニメで、もう1つ欠かせないスポットが春日部駅付近にあるイトーヨーカドーです。店内にはクレヨンしんちゃんの特設コーナーが設けられており、映画やイベントなどに応じてレイアウトが変更されます。ちなみにテレビアニメでは、サトーココノカドーという表記です。
さらに補足すると、イトーヨーカドーの屋外駐車場前を走る市役所通りを隔てた先は、かつて宿場町として栄えた場所で、現在は住宅地が形成されています。当時は日光街道の宿場町として45件もの旅籠、今で言う民宿のような施設や茶屋などが軒を連ねていたそうです。そんな春日部市の茶道具事情に関しては、明治元年から地元で茶葉栽培を行い、春日部駅の周辺に店舗展開する「おづつみ園」の取り揃える茶器類に定評があります。
春日部市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
お手元にある大切な茶道具は、専門の鑑定士にお任せいただいた方が傷つけることなくより高い金額で査定ができます。数十年に渡る鑑定実績をもつ、我楽洞の茶道具専門の鑑定士がご自宅にうかがって、大切な茶道具を出張査定および買取をさせて頂きます。
主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
春日部市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
春日部市での強化買取中の茶道具作家
長野垤志
長野垤志(ながの てつし)は、愛知県で生まれた鋳金家であり、釜師です。
最初は洋画家を志していましたが、鋳金に転じて山本安曇と香取秀真に師事しました。27歳のとき、帝展で初入選し、1933年に同展で出品した『青銅方盤』が特選となります。長野垤志は、花瓶や鐘などの作品や茶の湯釜の制作で評価を受けました。また、釜に関する研究や書籍の出版も行い、63歳で重要無形文化財「茶の湯釜」保持者(人間国宝)に認定されました。1977年に77歳で亡くなりました。
中川浄益
中川浄益(なかがわ じょうえき)は、安土桃山時代から400年以上続いた金物師の家系で、千家十職の一つです。彼らは鉄と鋳物を主軸とし、錺師として知られていました。
初代の與十郎は豊臣秀吉が開催した「北野大茶会」で、千利休から薬鑵の依頼をきっかけに中川浄益を名乗を名乗るようになったといわれています。
歴代の当代のなかで、三代目と七代目は特に著名で、三代目は砂張製法を発明したことで知られています。七代目は砂張槌物の名人と呼ばれた当代であり、中川家の再興に貢献し、「中川家 中興の祖」と称された人物でした。
九代目以降は茶道の衰退により活動が低迷し、現在は十一代目中川浄益を最後に継承が途絶えています。中川浄益の作品は評価が高く、岩戸山の柱金具なども手がけました。代表作として「青金寿老」「布袋像2体」「毛織建水」などがあげられます。