茶道具と京都府京都市の歴史
京都市は茶道の本場だけあって、茶道具も深い歴史を有します。その象徴が、京都市の上京区や中京区などを拠点とする、茶道具づくりにおける名門の総称「千家十職」です。文字通り10ある職家で、千家は“茶聖”こと「千利休」を指します。「侘び寂び」という今日にいたる茶道スタイルを確立させた千利休は、現在の京都市を中心に茶道具づくりをプロデュースする立場としても尽力。その時に頭角を現したのが、のちの三千家と密接な関係を築いていく、楽家や大西家に見られる千家十職です。
三千家は表千家と裏千家、武者小路千家の総称で、それぞれ千利休の曾孫3人に端を発します。千利休の孫である「千宗旦」の次男・宗守が、武者小路千家の流祖です。そして三男・宗左は表千家を、四男・宗室は裏千家を立ち上げました。三千家の拠点は、それぞれが千家十職と同様に京都市上京区です。拠点=家元、いわゆる団体としての総本部に相当します。なお千家十職は団体ではなく、各々が一子相伝で約400年の歴史を今日に紡ぐ「個人」です。その1つである塗師の中村宗哲は京都御所の西側に代々の工房を構え、付近には武者小路千家の総本部にあたる官休庵も。
表千家不審庵と裏千家今日庵は、上京区北部にある本法寺の東側を走る小川通沿いに隣合わせで接しています。まさに王道の風土が根差す京都市では、老舗から近年の繁盛店まで、千家十職を除く茶舗を含めた茶道具の販売店が50軒近くあるといわれています。表千家不審庵の向かいに構える「清昌堂やました」、中京区の「京都茶華道具館」や下京区の「原田茶具商店」などが有名です。こうした店舗では千家十職とは一線を画す、京都市ならではの野々村仁清や尾形乾山、本阿弥光悦といった作品の“写し”が人気を博します。
京都市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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京都市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
京都市での強化買取中の茶道具作家
織田長益(有楽斎)
織田長益(おだ ながます)は織田信長の実弟であり、武将として活躍しながらも茶道に傾倒し、織田有楽斎として知られるようになりました。本能寺の変後、明智軍との戦いを経て岐阜に逃れ、その後は織田信雄に仕え、豊臣秀吉の御伽衆として仕えたのち、剃髪して有楽と号しています。
茶道では千利休に学び、武家茶道「有楽流」を確立します。京都の建仁寺に建てた茶室如庵は国宝に指定され、現在は犬山城の庭園・有楽苑に移設されています。晩年は京都で茶道と趣味に専念しました。また、織田有楽斎が自作した竹茶杓は、根津美術館に今も貯蔵されています。
奥村吉兵衛
奥村吉兵衛(おくむら きちべえ)は、歴代の三千家に掛軸、風炉先屏風、釜の敷物の一種である「紙釜敷」などを納めてきた家系で千家十職の表具師の名門です。
奥村家は、加賀藩前田家に仕えたのち、京都で表具屋として活動し、表千家に引き立てられました。現在は十二代目が当主で、京都市中京区に仕事場を構えています。表具師は、絵画や書などを布や紙を使って保存するために掛け軸や巻物に仕立てることや、屏風や襖などの仕立てから修理を行う職人で、表装技能士の国家資格も存在します。職業訓練校などで育成され、大戦後からその役割が重要視されています。