茶道具と東京都杉並区の歴史
約57万人が暮らす杉並区は、東西を直線的に横切る中央線が交通手段の要を担います。また青梅街道に面し、東京メトロ丸ノ内線・南阿佐ヶ谷駅の前にあるのが杉並区役所です。青梅街道を中野方面とは反対に下ると、荻窪駅付近の天沼陸橋で中央線と交わります。そのまま進み、荻窪駅前の先で環八通りと交わる地点が、四面道交差点です。この荻窪駅周辺は杉並区の中心街で、かつて多くの文化人に愛された歴史も有します。
世界的板画家の棟方志功をはじめ、小説家の井伏鱒二や与謝野晶子、音楽評論の父こと大田黒元雄、角川書店の創設者である角川源義などが、杉並区での在住歴がある主な文化人です。なかでも茶道に関しては大田黒公園(荻窪3丁目)が、文化交流の場としてにぎわいを見せます。この公園には大田黒元雄の屋敷跡を整備した日本庭園と茶室があり、春の茶会や紅葉の名所に合わせた催しで有名です。荻窪駅南口に広がる商店街を抜け、住宅地を少し進むと大田黒公園に着きます。
ここから徒歩3分ほどの場所にあるのが、角川庭園・幻戯山房です。角川源義の旧邸宅を改装した角川庭園も、5月後半に行われる初夏の野点茶会など、年間を通したイベントが充実を見せます。そのほか杉並区浜田山の「柏の宮公園」内にある茶室も見ごたえ十分です。ここでは主に、裏千家茶道が茶会の場として活用しています。
柏の宮公園の最寄りは、徒歩5分圏内の京王井の頭線・浜田山駅です。なお浜田山は東京でも有数の高級住宅地に数えられ、この界隈を走る井ノ頭通り沿いに高級車の販売店が軒を連ねることから「日本一ポルシェが売れる街」という通説で知られています。浜田山から少し南下した高井戸は、甲州街道が走る、世田谷区との境目です。
杉並区で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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杉並区で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
杉並区での強化買取中の茶道具作家
高橋敬典
高橋敬典(たかはしけいてん)は、1920年に山形で生まれた金工家であり、本名は高橋高治(たかじ)と言い、人間国宝に認定された人物としても知られています。
1950年に釜師である長野垤志に師事し、金工の技術を深く学びました。その後、日展で初入選し、昭和天皇にも釜を献上するなどしました。1996年には重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
高橋敬典は、芸術性を追求しながらも実用性のある釜や鉄瓶を創り上げ、新たな造形にも挑戦しました。2009年には慢性腎不全により88歳で亡くなりました。代表的な作品には、第10回日本伝統工芸展で奨励賞を受賞した「砂鉄松文撫肩釜」、第23回日本伝統工芸展でNHK会長賞を受賞した「甑口釜」などがあります。
今井宗久
今井宗久(いまい そうきゅう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人・茶人であり、茶湯の天下三宗匠の一人として知られています。宗久は茶の師でもある武野紹鴎宅に身を寄せて茶の湯を学びます。独立後は、戦国大名に鉄砲や茶器を売り、財を成します。
1568年、織田信長が上洛すると、宗久は古田織部の名品である織部焼や「松島の茶壺」「紹鷗茄子」などを信長に献上し、その信頼を得ました。しかし、信長から羽柴秀吉の時代になると茶の湯は千利休が牽引するようになり、静かに主役の座を譲ります。
1593年に73歳で亡くなりましたが、宗久のゆかりの茶室「黄梅庵」は、現在でもその歴史的価値は高く、多くの観光客が訪れています。