茶道具と富山県富山市の歴史
金森宗和を流祖とする茶道文化が根差す、富山県富山市。それを象徴するのが、富山城址公園に金森宗和ゆかりの茶室を備え、数多くの茶道具コレクションを抱える「佐藤記念美術館」です。金森宗和は京都の公家衆にもてなした茶会で名声を博し、小堀遠州の次世代の筆頭格に挙げられる茶人。この京都時代に3代加賀藩主・前田利常から招かれ、現在の金沢市や小松市を拠点に宗和流茶道を普及していったと伝えられています。
なお当時の富山市は加賀藩から枝分かれしたばかりの富山藩として、新たな門出を迎えた時期でした。富山藩主には利常の次男・前田利次が座り、父に茶の湯を指南した金森宗和の流儀が城下町を中心に広まったといわれています。そんな当時の名残をとどめるのが、前述の佐藤記念美術館内に備わる茶室「柳汀庵」です。この茶室は加賀藩の家老を務めた横山家が所有したもので、金森宗和の監修により完成した記録が残されています。それを同館の創設者であり、明治期の近代数寄者「佐藤助庵」が譲り受け、施設内に移築させたという経緯です。
佐藤助庵(助九郎)は現在の砺波市出身の実業家兼政治家で、生涯を通じて1000を超える茶道具などの美術コレクションを収集し、1961年に富山市佐藤記念美術館を開設しています。富山県射水市出身で鉄釉陶器の人間国宝・石黒宗麿による「緑釉茶碗」、裏千家14代家元・淡々斎が制作した茶杓「清泉」などが、同館に収蔵されている佐藤助庵の主なコレクションです。また佐藤助庵自身も志野茶碗や日本画といった芸術作品を、数多く残しています。佐藤記念美術館以外では、富山市中央通り沿いに店舗を構える「茶道具きよ川」、抹茶ソフトクリームが人気で新古茶道具を揃える越前町の「栗林園」も有名です。
富山市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
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富山市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
富山市での強化買取中の茶道具作家
吉田織部
吉田織部(ふるた おりべ)は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将であり、茶人や芸術家としても知られる人物です。
武将茶人である吉田織部は、豊臣秀吉や徳川家康、徳川秀忠の茶の湯の指南役としても活躍しました。織部流の祖として茶道に大きな影響を与え、南山城・東大和1万石の大名でもありました。茶道具や建築、作庭など幅広い活動を通じて織部好みの流行を生み出しました。
現代でも織部焼で広く知られ、漫画ヘウゲモノで吉田織部の名前を知ったという人も少なくないです。また、吉田織部は千利休の弟子であり、利休の「人と違う事をしろ」という教えを守り利休とは異なる個性的な美を追求しました。利休亡き後は「天下の茶人」となり、織部流の祖として茶道界で称えられています。
魚住為楽
魚住為楽(うおずみ いらく)は、現代の日本工芸における銅鑼づくりの名家であり、3代目が当代を務めています。「魚住為楽」の名は、金工家の屋号で、大正時代から受け継がれています。
初代為楽は銅鐸の研究を通じて砂張鋳造技術を確立し、茶道具や銅鑼などを手掛け、その評価は高く、重要無形文化財保持者として人間国宝にも認定されています。初代為楽の長男である幸平が二代目を任されるも戦死し、まだ高校生だった安彦が後継者となります。安彦は茶人としても活動し、多くの茶道具を制作しました。
安彦は63歳で紫綬褒章を受章し、2年後に三代目「魚住為楽」を襲名しました。為楽は重要無形文化財の「銅鑼」技術保持者として認定され、2012年に薬師寺に「砂張水指」を献上しました。現在は後継者の指導に努めながら、魚住為楽の伝統を守り続けています。