茶道具と静岡県静岡市の歴史
3つの区から成る静岡市は、約67万人が暮らします。静岡市の中心部は駿府城公園を擁する葵区で、駿河区には徳川家康を祀る話題の久野山東照宮、そして三保松原や日本平を抱えるのが清水区です。駿府城公園の堀を張り巡らすように、静岡県庁を筆頭とする行政機関が集まります。2021年に堀を運行する「葵舟」が始動したことは、記憶に新しいところです。
堀に面した静岡県庁の前は、静岡駅を起点とするメインストリートの御幸通りが走ります。御幸通りを県庁から駅とは反対方向に少し進んだ先にあるのが、静岡浅間神社の大きな鳥居です。ここから仲見世通りのような参道沿いの商店街が、500m以上にわたって軒を連ねます。この参道沿いには、静岡市のご当地グルメ「静岡おでん」の名店も。
静岡駅北口の前には、駿府城公園や大規模な繁華街などを一望できる「葵タワー」がそびえ立ちます。高さ125mと静岡市で最も高いランドマークです。この葵タワーには、注目の文化交流施設「静岡市美術館」などが入っています。静岡市の繁華街は両替町や呉服町が代表的で、駅から近いためホテルが多いのも特徴です。
さらに、一見すると分かりにくい、日本庭園を備えた隠れスポットも見どころの1つ。最後の将軍こと徳川慶喜の屋敷跡で、和をメインとした高級グルメを満喫できる「浮月楼」です。ビルなどに囲まれていることから、ギャップを感じてしまう人が多い穴場です。そんな浮月楼は催事場としての顔も持ち、藤井聡太も挑んだ将棋の名人戦を開催することで知られています。
なお遠州流茶道連盟が、浮月楼を稽古場としていることも実は特筆すべき点です。この流派の創始者は千利休や古田織部に次ぐ茶人として名高い「小堀遠州」で、徳川家康からは築城の手腕も買われたほど。駿府城の工事での功績をもって、静岡の旧名にちなんだ「遠州」の名を与えられています。
静岡市で茶道具買取を専門とする我楽洞では、これまで希少性の高い茶道具をはじめ、有名な作家や職人が制作した茶道具を出張買取させて頂いております。また、「遺品整理をしていたら古い茶道具が出てきた」、「引越しをするため片付けをしていたら茶道具があった」などお手持ちの茶道具を整理したい際は、我楽洞にご連絡ください。
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主な買取対象の茶道具としては、茶碗・茶杓・御風炉・釜・茶掛けなど幅広くあります。その中には、三千家ゆかりのものや著名な茶人が愛用した茶道具、千家十職と称される職人たちによって作られた茶道具も含まれます。また、中国や朝鮮など外国で作られた茶道具も買取対象です。茶道具を売るなら、業界有数の買取実績があり、国内最高峰の美術商の組合「東京美術商協同組合」に加盟している「我楽洞」へお任せ下さい。
事前の茶道具簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の茶道具作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
静岡市で買取対象の主な茶道具
茶碗、茶杓、御風炉、茶掛、花入、棗、蓋置、水指、風炉先、御釜、茶入、香炉、香合、菓子器、銘々皿、炉縁、茶棚、急須、建水、茶托、鉄瓶、土瓶、帛紗、書付もの、その他茶道具
千家十職の茶道具
表千家、裏千家、武者小路千家、遠州派、江戸千家、上田宗箇流、織部流、石州流、藪内流、その他の流派の茶道具
主な流派の茶道具
千利休、利休七哲、蒲生氏郷、細川忠興、古田重然(織部)、牧村利貞(兵部)、高山右近(重友)、芝山宗綱(監物)、前田利長、瀬田正忠、鎌倉時代の茶人、室町時代の茶人、安土桃山時代の茶人、江戸時代の茶人、明治時代の茶人、大正時代の茶人、昭和時代の茶人、その他有名な茶人
茶人が愛用した茶道具
樂吉左衛門、大西清右衛門、中村宗哲、駒沢利斎、中川浄益、土田友湖、奥村吉兵衛、飛来一閑、黒田正玄、西村(永楽)善五郎
海外で作られた茶道具
中国茶道具、朝鮮茶道具、外国の茶道具
その他、希少価値が高い茶道具、その他有名作家や職人の茶道具を買い取りしております。
静岡市での強化買取中の茶道具作家
長野垤志
長野垤志(ながの てつし)は、愛知県で生まれた鋳金家であり、釜師です。
最初は洋画家を志していましたが、鋳金に転じて山本安曇と香取秀真に師事しました。27歳のとき、帝展で初入選し、1933年に同展で出品した『青銅方盤』が特選となります。長野垤志は、花瓶や鐘などの作品や茶の湯釜の制作で評価を受けました。また、釜に関する研究や書籍の出版も行い、63歳で重要無形文化財「茶の湯釜」保持者(人間国宝)に認定されました。1977年に77歳で亡くなりました。
土田友湖
土田友湖(つちだ ゆうこ)は千家十職の袋師で、袋師の当主が代々襲名している名称です。彼らは茶道具の仕覆や帛紗などの袋物を制作し、歴代の三千家に納めてきました。
土田家は彦根藩井伊氏に仕え、商家として西陣織の仲買人となりました。表千家の支援を受け、仕覆などを作るようになりました。現在は13代目が当主で、京都市中京区に仕事場を構えています。袋師は茶道具の袋物全般を制作し、茶道で使用される布製の道具を扱います。